明治5年(1872年)に、北海道開拓に当る人材の育成を目指し、東京芝増上寺の方丈25棟を購入し開拓使仮学校が設置された。明治8年(1875年)に、仮学校を現在時計台がある場所に移転し、札幌学校と改称し開校式を行った。明治9年(1876年)には、札幌農学校と改称し開校式を挙行した。初代校長に調所広丈氏、教頭には、アメリカ合衆国マサチューセッツ農科大学学長のウィリアム・スミス・クラーク博士が招かれ、日本初の学士授与教育機関としてスタートしました。
北海道大学:011-706-2610
明治9年開校した札幌農学校は、クラーク博士の指導で開校とほぼ同時に広大な農場を開き、移住者の育成に向けた大規模蓄農業を取り入れた拠点を造った。このクラーク構想は、教え子であるW・P・ブルックス・W・ホイラーらに引き継がれ、北海道農法の構築に大きく貢献した。明治10年に建設された札幌農学校第二農場は、一軒の畜産農家を模した実践・模範農場として発足。農場施設はバルーン・フレーム(風船構造)建築様式の、北海道の風土にあった酪農業を進めるためのモデルで、北海道全域に畜産農業を広めた拠点施設でもあった。国内で最初の洋式農業建築と北海道開拓の歴史を示す第二農場は、国の重要文化財に指定され開拓当時の歴史を伝えています。
北海道大学:011-706-2610
初代教頭に赴任したクラーク博士は、札幌農学校の教育方針をマサチューセッツ農科大学を模範とし、人格教育に重きをおき、生徒の心身を鍛える武芸科を設置し、兵式訓練や体育の授業を行う「武芸練習場」建設を考えていたが、博士は「青年よ大志を抱け」の言葉を残し帰国した。博士のあとを継いで教頭になったW・ホイラーは、演武場(時計台)の基本構想図を作り、開拓使工業局主席技術者安達喜幸の設計・監督で明治11年に完成した。完成式典に出席した黒田清隆開拓長官の発案により、3年後に時計塔を付設しアメリカ合衆国ハワード社の時計機械を据付た。翌年に日本機械学会から国内現存最古の塔時計として機械遺産に認定された。時計機械の保守は井上清氏から二代目井上和雄氏に受け継がれ、正確に時を刻み毎時鐘を鳴らし市民に時を告げ続けています。
札幌市時計台:011-231-0838
明治9年(1876年)に、開拓使麦酒醸造所による日本初のビールづくりが始まり、明治10年夏には、ドイツで修行した日本人初のブラウマイスター、中川清兵衛氏によって仕込まれた、第1号商品の冷製「札幌ビール」ができあがりました。サッポロビールのトレードマークである「五稜星」が描かれたビールは、開拓使旗(北辰旗)を立てた船艦で東京へ運ばれました。発売からほぼ10年後には、国産ビールの総生産量が舶来ビールの輸入量を上回りました。
サッポロビール北海道工場:011-748-1876
明治36年(1903年)に、魚小売商から始まったと言われている歴史のある市民市場。季節季節の新鮮な魚貝類・果物類・野菜類や乾物類など、北海道の特産品が所狭しと店先に並びます。市民の台所として親しまれている市場は、お店の人と対面販売のため、楽しい値引き交渉や親切に教えてくれる調理方法など、市場ならではの買い物が楽しめます。市場周辺には、旬のウニ丼やイクラ丼などが味わえる食事処もたくさんあります。
二条市場商店街振興会事務所:011-222-5308
明治42年(1909年)に、東北帝国大学農科大学(現北海道大学)予科ドイツ語講師、ハンス・コラーによって、一台のスキーが札幌に導入され、学生達が大学構内でスキーを始めた。明治44年に学生達が市内の馬そり屋で、4〜5台のスキーを作り三角山で滑ったのが草分けで、三角山がスキージャンプ発祥の地となった。大正11年(1922年)に北大スキー部が、日本最初の固定シャンツェを三角山に建設した。
(株)札幌振興公社:011-616-1601
昭和12年(1937年)に、フランスより曽田香料(株)の創業者によって5kgの種が輸入され、各地で試験栽培の結果北海道が最適地と判明し、昭和15年に札幌郊外の南ノ沢農場で16.4ヘクタールのラベンダーが栽培され、日本初の蒸留によるラベンダーオイルの抽出に成功した。南区南沢地区にある東海大学札幌キャンパスでは、大学のラベンダーキャンパス化計画を実施し、ラベンダー畑の公開や地域活性化に向けたラベンダー栽培に取り組んでいます。
曽田香料(株)札幌営業所:011-222-4592
東海大学札幌キャンパス:011-571-5111
昭和26年(1951年)に、東宝公楽横に8軒の横丁ができ「公楽ラーメン名店街」として親しまれた。「元祖さっぽろラーメン横丁」は、不滅の伝説を作り上げた名物横丁の流れを継承している。ラーメン横丁は、地元の人々に愛され続け、全国各地からも多くの方々が訪れています。味噌ラーメン発祥の地の「さっぽろラーメン」は、全国各地に広く普及している札幌自慢のラーメンです。
元祖さっぽろラーメン横丁会事務局:011-663-7575
全国で17番目の中央卸売市場としてスタートした「札幌市中央卸売市場」は、北海道の生鮮食品流通の拠点市場として重要な役割を担っています。中央卸売市場と直結する「札幌場外市場」は、約61店舗が所狭しと軒を連ね、毎日隣の中央市場より、鮮度抜群の海の幸・野の幸を仕入、格安で提供しています。威勢のいい掛け声とともに、お客様との楽しい対面販売は、大変好評で場外市場の交流文化が発展しています。
場外市場中心街商業組合:011-621-7044
北海道は、魚の種類が豊富な日本海沿岸の好漁場や、オホーツク海沿岸・太平洋沿岸・津軽海峡などの豊富な水産資源に恵まれ、各地で季節の新鮮な地魚が漁獲され水揚げされています。札幌の水産加工業者は各地で獲れた新鮮な地魚を活かし、各社の伝統の技術や秘伝の味によって、自慢の味の水産加工品を生産し全国に供給しています。
札幌水産物加工協同組合:011-618-2275
さっぽろ雪まつりは1950年に、地元の中・高校生が6個の雪像を大通公園に設置したことをきっかけに始まり、5万人あまりの人出で賑わう大人気の祭りでした。以来、札幌の冬の行事として市民に定着し、観光客も増加し大盛況となり、札幌の雪祭りから日本の雪祭りへと発展。2010年2月開催「第61回さっぽろ雪まつり」には、道内・道外を始め世界各国から、243万3000人の人々が札幌を訪れ雪祭りを楽しんでいただきました。
さっぽろ雪まつり実行委員会:011-211-2376
ウニ漁の発祥の地、小樽の夏の味覚を代表する、ウニ漁とウニの旬は、5月中旬から8月下旬。前浜で漁獲されるウニは、繊細なコクの「エゾバフンウニ(赤ウニ)」と、濃厚なコクの「キタムラサキウニ(白ウニ)」が水揚げされています。
小樽市産業湾岸部商業振興担当;0134-32-4111(内線277)
江戸時代に、北海道の1/3の漁獲量を誇った石狩は400年近くサケ漁で栄えてきました。今でも700トン前後を水揚げしてる漁師まちです。9月中頃に毎年「石狩さけまつり」が開催され、巨大な鍋で石狩鍋が振るまわれます。石狩は、鮭料理「石狩鍋」の発祥の地です。
石狩市企画経済部観光担当:0133-72-3167