国際化がより進み国民のニーズもより多様化し余暇ニーズも高まる傾向にあり、大型客船でクルーズを楽しむ国内乗船客も増え、また、海外から日本を訪れる大型客船もより増加する中、瀬戸内海沿岸にも多くのクルーズ客船が入港するようになり、県内外との文化交流活動なども盛んに推進されています。瀬戸内の美しい大自然や味覚などを堪能するため、客船で訪れる観光客も多くなり、瀬戸内地域の豊かな自然や産物などの特性を活かした地域振興や観光振興などを目指し、新たな文化交流活動の創出や広域連携観光交流空間の創出などに向けた取り組みなどが進められています。そのような中、広島港には日本最大豪華客船の飛鳥Uや、海外から訪れる大型客船「オーロラ」などがクルーズ寄港するなど、広島港には、毎年20隻を超えるクルーズ客船が入港し、寄港回数は全国の上位10位に含まれる人気の港になっています。
広島県土木局港湾新港課:082-513-4035
広島市観光政策部観光ビジネス担当:082-504-2676
【広島(宇品)−呉−松山(松山観光港)】旅客船・フェリー
瀬戸内海汽船:082-253-1212
石崎汽船:089-953-1003
【広島(宇品)−江田島(切串・小用)】旅客船・フェリー
瀬戸内シーライン:082-254-1701
上村汽船:082-256-5935
【広島(宇品)−能美(三高)】フェリー
江田島汽船:082-253-1212
【広島(宇品)−能美(中町・高田・海上ロッジ)】旅客船
江田島市企業局:082-251-9291
【広島(宇品)−プリンスホテル前−宮島】旅客船
瀬戸内シーライン:082-254-1701
【広島(宇品)−学園前−似島】フェリー
似島汽船:082-251-6516
広島港は、一級河川太田川河口デルタの先端に位置し、海上に点在する島々や半島により年間を通じて波静かな天然の良港として知られており、瀬戸内海における海上交通の要衝として発展してきました。歴史的には、16世紀末、毛利輝元が城を築き、城下町をつくりあげたのが始まりで、1884年(明治17年)より、時の県令千田貞暁が宇品築港事業を敢行し難工事の末1889年(明治22年)に竣工し近代港湾としての機能を整えました。その後、日清戦争から第二次世界大戦が終わるまでの間、旧陸軍の補給基地として栄えました。コンテナ化の進展等に対応した施設の整備が進み、並行して諸外国との航路網が形成されつつあることにより、中国地方のグローバルゲートとしての地位が高まっています。このような状況の中、1992年に全国で21番目の特定重要港湾の指定を受け、2011年3月の港湾法改正により国際拠点港湾として認定されました。中国地方の政治、経済、文化の交流拠点として、また、世界に開かれた国際港湾都市の玄関口として大きく期待されています。
中国地方整備局
広島港湾・空港整備事務所:082-254-6411
広島港宇品旅客ターミナルは、瀬戸内海における海上旅客交通の拠点として、江田島や能美島等の島しょ部をはじめ、四国地方への定期航路のほか、瀬戸内海のクルーズ船の発着場として利用されています。隣接する旧ターミナルには、フェリー待合所のほか、広島県の土産物や海の幸、山の幸が揃った観光物産館が入っています。また、ターミナルの北側に位置する約10haの「広島みなと公園」には、ピクニック広場やランニングコース、グランド、休憩所等数多くの施設があります。憩いの場であるとともに、震災時の避難場所やヘリポート等の防災拠点でもあります。
中国地方整備局
広島港湾・空港整備事務所:082-254-6411
広島県広島港湾振興事務所:082-251-7117
海田コンテナターミナルは、5千DWT級(500TEU積級)のコンテナ船に対応した広島港で最初のコンテナターミナルとして1988年に岸壁(-7.5m)2バースで竣工しました。韓国、台湾や中国などへのダイレクト輸送や神戸港へのフィーダーサービスが行われています。宇品地区と海田地区を結ぶ海田大橋は、整備中である広島南道路と直結し、広島港東部の港湾貨物の円滑な流通と都市交通の緩和を図るために建設された長大橋で、1990年12月に完成しました。安芸の宮島の大鳥居をモチーフに周囲の景観に溶け込み、落ち着いた雰囲気で夜の広島湾に彩りを添えるようライトアップされています。
また、出島地区にある広島港国際コンテナターミナルは、5万DWT級(4,000TEU積)の大型コンテナ船に対応した水深14mの岸壁やガントリークレーン等を有する中四国最大のコンテナターミナルとして平成15年3月から供用が開始されました。中国や韓国、東南アジアをはじめとする各国との貿易拠点であり、中国地方の地域経済を支えています。また、この地区の東側では出島廃棄物処分場の整備が広島県によって平成15年8月から進められており、平成25年度に完成予定、平成26年度から約10年間、灰や汚泥、瓦礫等の廃棄物を受け入れる計画になっています。
中国地方整備局
広島港湾・空港整備事務所:082-254-6411
広島県広島港湾振興事務所:082-251-7117
五日市地区は八幡川の河口西側沖合に、広島都市圏の物流拠点として3万トン級の貨物船の入港が可能な水深12mをはじめとする外貿岸壁を整備しています。また、本地区背後では教育、住宅、公共施設などの用地や、市民の憩いの場となる公園・野鳥園なども整備されつつあり、潤いのある豊かな港湾空間が創出されます。また、広島港最西部に位置する廿日市地区は、広島港における輸入貨物の約5割を占めるLNG(都市ガスの主原料となる液化天然ガス)約80万トンを取り扱っており、近年、各種製造業のエネルギー源として注目されているLNGの一大輸入拠点となっています。また、国内でも珍しい水面貯木場としての機能も有しており、原木の取扱等に利用されています。
中国地方整備局
広島港湾・空港整備事務所:082-254-6411
広島県広島港湾振興事務所:082-251-7117
広島市内には、草津漁港・五日市漁港・美能漁港・畑漁港・深江漁港・柿浦漁港・の6漁港があり、草津漁港は、市内最大の漁港で、牡蠣養殖の発祥の地です。広島県の牡蠣生産量は全国1位で、全国総生産量の約58%を広島県が占め、第2位の宮城県の3倍以上の大産地(2008年)です。広島牡蠣は二枚貝で、アサリやハマグリと同じ構造ですが、環境により細長くなったり、丸くなったりと殻の形が変わる特徴があり、産地により殻の大きさや身の大きさに違いが出ます。広島牡蠣は、殻は小さいけれど、身は殻の割には大きくぷりっとしていて濃厚な味わいとされています。出荷は10月〜5月ですが、旬の時期は年明けの1月〜2月です。その時期はかきの体内に、美味しさの元となるグリコーゲンが大量に蓄えられていす。近年では夏に水揚げする夏がきなども登場し、1年中美味しいかきを食べる事が出来るようになりました。また新ブランドも続々登場しています。
広島市農林水産部水産課:082-504-2252
広島県の牡蠣の生産量はダントツ全国一位で、50%以上を常に占めています。広島湾は島や岬に囲まれ、波が静かで、潮の流れも適度にあり、理想的な牡蠣の養殖場です。夏は水温が上がり、秋には水温が下がり、流れ込む河川水が塩分濃度に層を作り、養殖に向いた海になっています。豊かな河川水は、牡蠣の餌である植物プランクトンの増殖に大きく貢献し、広島牡蠣の美味しさと生産量に大きく貢献しています。
広島市役所観光課:082-504-2243
牡蠣には、人の体内で造りだすことができない重要な栄養素であり、ビタミンの作用に不可欠なミネラルが大変豊富に含んでいます。明治元年創業の広島牡蠣専門の水産加工会社では、牡蠣のエキスを取りこみ旨味を生かした魚醤、「牡蠣醤油」を造り上げました。栄養素が豊富な自然食品調味料です。
広島加工水産物商業組合:082-279-2361
原爆投下後の広島で、人々の空腹を満たすために、米の代わりとなる小麦粉を使った、屋台の料理店が急増したことから始まり、時代と共に進化しながら、広島名物のお好み焼きとして根付き、広島の歴史と共に歩み続けてきた、広島市民の食文化であり広島が伝え続ける食文化です。
広島市役所観光課:082-504-2243
信州の野沢菜・九州の高菜と並び、日本三大菜と呼ばれる広島菜、安芸菜・京菜・平茎とも呼ばれています。旬のものはピリッとした辛味とほろ苦い風味があります。ほとんどが広島菜漬に加工されています。
広島市役所観光課:082-504-2243
昔から安佐北区小河原町で少数の農家が栽培を続けている広島独特のオクラがあります。緑色がやや薄く、一回り大きいのですが、切ってみると普通のオクラは五角形ですが、小河原おくらは九角形です。肉厚で柔らかくうぶ毛がなく、粘りが強いのが特長です。また、佐伯区五日市のオクラは丸オクラです。五角形オクラに比べ、長くて粘りが強く、甘めで柔らかいのが特徴で、6月下旬〜10月中旬まで長期間収穫されます。
広島市役所観光課:082-504-2243
太田川の砂が堆積した観音地区の地質がネギの栽培に好条件となり、白い部分が葉ネギの中では多めで、特有の香りや風味、そして非常に柔らかい特徴のあるネギとして育ちます。また、白木町で栽培されている赤ネギは根元が赤く、生で食すとピリッと辛めですが、鍋で煮込むとトロリとした甘い風味の楽しめる白木の赤ネギが栽培されています。
広島市役所観光課:082-504-2243
昔から減農薬で作られてきたので、形よりも味で勝負。注文があってから収穫し発送するため、完熟に近い状態で収穫されたみかん本来の旨味が楽しめます。
広島市役所観光課:082-504-2243
白壁の蔵や古い木造家屋が多く佇む西区古江は、温暖で南向き斜面を持つ町です。この土地では大正の初めころから栽培が始まったイチジクは、皮が薄く、甘みが強いのが特長。8月の終わりころから実が熟し始め、9〜10月にかけてが食べごろの時期。瀬戸の潮風に吹かれて育つ古江のイチジクは、その味と香りを心待ちにしている人も多く、季節を感じさせてくれる特産品です。
広島市役所観光課:082-504-2243
呉市は牡蠣の収穫量が21年に日本一。むき身出荷量は全国の14.7%を占めている。特に音戸町は牡蠣養殖が盛んです。音戸の海水には酸素がたっぷり含まれており、発育に必要な酸素が不足することがありません。また、理想的な養殖場の環境を保つために、一度使った養殖場は半年ほど休ませている。音戸の海の海水は大変きれいで、生食用牡蠣の生産に適している産地です。
呉市役所水産振興課:0823-25-3319
日本三名橋のひとつ「錦帯橋」 は日本を代表する木造橋です。他に例を見ない特異な姿の五連の反り橋が特徴で、1922年(大正11年)に国の名勝に指定されました。岩国藩の初代藩主・吉川広家は1608年(慶長13年)に、蛇行した錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に岩国城を築城。その麓に居館や上級武士の屋敷を配置、中下級武士の屋敷や町屋は錦川対岸の錦見(現在の岩国1、2丁目あたり)に置き、岩国城下町を形成しました。第3代藩主・吉川広嘉は、暴れ川の錦川に流れない橋を架けることを決意。そこで、橋脚のない甲斐の「猿橋」に着目したが、約30mの猿橋と約200mの錦川では条件が違いすぎ、技術の応用は不可能でした。その後、広嘉は明の渡来僧である独立が持つ「西湖遊覧誌」にある、島づたいに石橋が架かる図をヒントに、錦帯橋の構想を得。家臣の児玉九郎右衛門に架橋を命じ、1673年(延宝元年)10月、岩国藩の悲願であった錦帯橋が完成しました。翌年洪水で一部が流失したが、その年のうちに、敷石を強化し再建。以来276年の間、老朽による補修や架け替えは何度も行われたものの、流失することは無く。また、架け替える中で改良が重ねられました。しかし1950年(昭和25年)9月、キジア台風による錦川の大増水により、多くの市民が見守る中、惜しくも流失してしまいました。その後、市民の熱意で1953年(昭和28年)1月に再建され、それから約50年を経て、木部の傷みが全体的に目立つようになり。そのため、2001年(平成13年)秋より「平成の架け替え」が、伝統を受け継ぐ岩国の匠の手により昔ながらの木組みの工法で行われ。2004年(平成16年)3月、五つの反り橋はアーチの美しさにこだわって生まれ変わりました。
岩国市役所観光振興課:0827-29-5116